(令和5年3月10日 最高裁判所第二小法廷判決)
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Ⅰ はじめに 本稿の趣旨
令和5年3月10日、最高裁判所第二小法廷において、トラック運転手が元勤務先に対して時間外労働等に対する賃金等の支払いを求めた裁判の判決が下されました(令和4年(受)第1019号 未払賃金等請求事件・令和5年3月10日 第二小法廷判決)。
本件は、賃金総額から基本給等を控除し、残額を割増賃金として支払うという給与体系の下、かかる残額の支払いが割増賃金の支払いと認められるかどうかが問題となった事案です。
このような給与体系における割増賃金の支払の有効性に関し、最高裁がどのような判断を下すのかが注目された事例といえます。
なお、以下では、特に断りがなければ、本件の第一審原告を単に「原告」、第一審被告(会社)を単に「被告」と表記します。
本件の審理経過は以下のとおりです。
- 第一審:令和3年7月13日 熊本地方裁判所 判決(平成30年(ワ)第560号)
- 第二審:令和4年1月21日 福岡高等裁判所 判決(令和3年(ネ)第604号)
- 第三審:令和5年7月20日 最高裁判所第一小法廷 判決(令和4年(受)第1019号)
本件では、被告が設定する割増賃金は時間外手当と調整手当の2種類があるところ、第一審は、調整手当は割増賃金の既払額に該当しない一方、時間外手当は割増賃金の既払額に該当すると判断し、原告の請求の一部認容にとどまりました。
第二審は、被告が原告に対し、第一審が認容する未払賃金全額を被告が支払ったとして、原告の請求を認めない判断をしました。
このような経過を辿る中、最高裁は、第二審の判断は割増賃金に関する法令の解釈適用を誤った違法があるとして、破棄した上で福岡高等裁判所に差し戻すという判断をしました。
本稿では、本件の事実関係の概要を整理するとともに、本件が与える実務上の影響について考察したいと思います。なお、本稿の内容は、あくまでも筆者の一考察に過ぎないことにご留意ください。
Ⅱ 本件の概要
1 事案の概要
本件は、一般貨物自動車運送事業等を営む被告に勤務していたトラック運転手であった原告が、時間外労働、休日労働及び深夜労働(以下「時間外労働等」 といいます。)に対する賃金並びに付加金等の支払を求めた事案です。
2 事実関係の概要
本件の事実関係の概要は以下のとおりです。
- (1)被告は、原告と雇用契約を締結した当時、就業規則の定めにかかわらず、日々の業務内容等に応じて月ごとの賃金総額を決定した上で、その賃金総額から基本給と基本歩合給を差し引いた額を時間外手当とするとの賃金体系((以下「旧給与体系」といいます。)を採用していた。
- (2)被告は、平成27年5月、熊本労働基準監督署から適正な労働時間の管理を行うよう指導を受けたことを契機として就業規則を変更し(以下「平成27年就業規則」といいます。)、新たな賃金体系(以下「新給与体系」といいます。)に移行した。
- (3)新給与体系の主な内容は次のとおりである。
- (ア)基本給は、本人の経験、年齢、技能等を考慮して各人別に決定した額を支給する。
- (イ)基本歩合給は、運転手に対し1日500円とし、実出勤した日数分を支給する。
- (ウ)勤続手当は、出勤1日につき、勤続年数に応じて200~1000円を支給する。
- (エ)残業手当、深夜割増手当及び休日割増手当(以下「本件時間外手当」と総称します。)並びに調整手当から成る割増賃金(以下「本件割増賃金」といいます。)を支給する。このうち本件時間外手当の額は、基本給、基本歩合給、勤続手当等(以下「基本給等」といいます。)を通常の労働時間の賃金として、労働基準法37条並びに政令及び厚生労働省令の関係規定(以下、これらの規定を「労働基準法37条等」といいます。)に定められた方法により算定した額であり、調整手当の額は、本件割増賃金の総額から本件時間外手当の額を差し引いた額である。本件割増賃金の総額の算定方法は平成27年就業規則に明記されていないものの、上記総額は、旧給与体系と同様の方法により業務内容等に応じて決定される月ごとの賃金総額から基本給等の合計額を差し引いたものである。
- (4)新給与体系の下において、原告を含む被告の労働者の総労働時間やこれらの者に現に支払われた賃金総額は、旧給与体系の下におけるものとほとんど変わらなかったが、旧給与体系に比して基本給が増額された一方で基本歩合給が大幅に減額され、上記のとおり新たに調整手当が導入されることとなった。被告は、新給与体系の導入に当たり、原告を含む労働者に対し、基本給の増額や調整手当の導入等につき一応の説明をしたところ、特に異論は出なかった。
- (5)なお、原告の1か月当たりの時間外労働等の時間は平均80時間弱であった。
- (6)被告は、令和3年8月6日、原告に対し、第1審判決が認容した賃金額の全部(遅延損害金を含めて合計224万7013円)を支払った。
3 原告の労働条件等
新給与体系における原告の労働条件等を整理した一覧表は以下のとおりです。
番号 | 賃金項目 | 賃金の内容 | ||
---|---|---|---|---|
1 | 基本給等 | 基本給 | 本人の経験、年齢、技能等を考慮して各人別に決定した額を支給する。 | |
2 | 基本歩合給 | 運転手に対し1日500円とし、実出勤した日数分を支給する。 | ||
3 | 勤続手当 | 出勤1日につき、勤続年数に応じて200~1000円を支給する。 | ||
4 | ①本件割増賃金 | ②本件時間外手当 | 残業手当 | 基本給等の合計額を1か月平均所定労働時間で除した額に1.25及び時間外労働時間数を乗ずる。 |
5 | 休日労働割増賃金 | 基本給等の合計額を1か月平均所定労働時間で除した額に1.35及び休日労働時間数を乗ずる。 | ||
6 | 深夜労働割増賃金 | 基本給等の合計額を1か月平均所定労働時間で除した額に0.25及び深夜労働時間数を乗ずる。 | ||
7 | ③調整手当 | ①本件割増賃金の総額から②本件時間外手当の額を差し引いた額 計算式規定なし。 |
なお、実際には上記賃金項目以外にも家族手当や通勤手当、宿泊日当等の項目も設定されているのですが、本件争点に関連した賃金項目に限って整理していることをご了承ください。
4 本件の争点
②本件時間外手当の支払いが労働基準法37条の割増賃金が支払われたものと認められるかどうかという点が争点となりました。
5 原審(第二審)の判断
原審(第二審)は、②本件時間外手当の支払いは労働基準法37条の割増賃金の支払いにあたると判示しました。原審(第二審)の判断概要は、以下のとおりです。
本件割増賃金のうち調整手当については、時間外労働等の時間数に応じて支給されていたものではないこと等から、その支払により労働基準法37条の割増賃金が支払われたということはできない。他方、本件時間外手当については、平成27年就業規則の定めに基づき基本給とは別途支給され、金額の計算自体は可能である以上、通常の労働時間の賃金に当たる部分と同条の割増賃金に当たる部分とを判別することができる上、新給与体系の導入に当たり、被上告人から労働者に対し、本件時間外手当や本件割増賃金についての一応の説明があったと考えられること等も考慮すると、時間外労働等の対価として支払われるものと認められるから、その支払により同条の割増賃金が支払われたということができる。
6 第三審(最高裁)の判断内容
これに対し、最高裁は、②本件時間外手当の支払いは労働基準法37条の割増賃金の支払いにあたらないという判断を下しました。
(1)割増賃金の支払い該当性の判断基準
最高裁は、割増賃金の支払い該当性について以下のように判示しました。
労働基準法37条は、労働基準法37条等に定められた方法により算定された額を下回らない額の割増賃金を支払うことを義務付けるにとどまり、使用者は、労働者に対し、雇用契約に基づき、上記方法以外の方法により算定された手当を時間外労働等に対する対価として支払うことにより、同条の割増賃金を支払うことができる。そして、使用者が労働者に対して同条の割増賃金を支払ったものといえるためには、通常の労働時間の賃金に当たる部分と同条の割増賃金に当たる部分とを判別することができることが必要である。
雇用契約において、ある手当が時間外労働等に対する対価として支払われるものとされているか否かは、雇用契約に係る契約書等の記載内容のほか、具体的事案に応じ、使用者の労働者に対する当該手当等に関する説明の内容、労働者の実際の労働時間等の勤務状況などの諸般の事情を考慮して判断すべきである。その判断に際しては、労働基準法37条が時間外労働等を抑制するとともに労働者への補償を実現しようとする趣旨による規定であることを踏まえた上で、当該手当の名称や算定方法だけでなく、当該雇用契約の定める賃金体系全体における当該手当の位置付け等にも留意して検討しなければならないというべきである(以上につき、最高裁平成29年(受)第842号同30年7月19日第一小法廷判決・裁判集民事259号77頁、最高裁同年(受)第908号令和2年3月30日第一小法廷判決・民集74巻3号549頁等参照)。
最高裁は、ある手当の支払いが割増賃金としての支払いと認められるかどうかは、明確区分性に加えて対価性が必要である旨を判示した上で、日本ケミカル事件最高裁判決(最高裁判所第一小法廷判決30年7月19日)、国際自動車事件(第二次上告事件)(最高裁判所第一小法廷判決令和2年3月30日)を引用し、「雇用契約に係る契約書等の記載内容のほか、具体的事案に応じ、使用者の労働者に対する当該手当等に関する説明の内容、労働者の実際の労働時間等の勤務状況などの諸般の事情を考慮して判断すべきである。」「その判断に際しては、労働基準法37条が時間外労働等を抑制するとともに労働者への補償を実現しようとする趣旨による規定であることを踏まえた上で、当該手当の名称や算定方法だけでなく、当該雇用契約の定める賃金体系全体における当該手当の位置付け等にも留意して検討しなければならないというべきである」としました。
(2)②本件時間外手当と③調整手当の関係性
以上を踏まえ、最高裁は、原審と異なり、②本件時間外手当と③調整手当の関係性について、以下のように判示しました。
※下線部は筆者追記
前記事実関係等によれば、新給与体系の下においては、時間外労働等の有無やその多寡と直接関係なく決定される本件割増賃金の総額のうち、基本給等を通常の労働時間の賃金として労働基準法37条等に定められた方法により算定された額が本件時間外手当の額となり、その余の額が調整手当の額となるから、本件時間外手当と調整手当とは、前者の額が定まることにより当然に後者の額が定まるという関係にあり、両者が区別されていることについては、本件割増賃金の内訳として計算上区別された数額に、それぞれ名称が付されているという以上の意味を見いだすことができない。
そうすると、本件時間外手当の支払により労働基準法37条の割増賃金が支払われたものといえるか否かを検討するに当たっては、本件時間外手当と調整手当から成る本件割増賃金が、全体として時間外労働等に対する対価として支払われるものとされているか否かを問題とすべきこととなる。
本件最高裁は、②本件時間外手当と③調整手当を区別していた原審とは異なり、②本件時間外手当と③調整手当は全体として①本件割増賃金を構成するものに過ぎず、①本件割増賃金が全体として時間外労働等に対する対価として支払われるものとされているか否かを問題とすべきであると判断しました。
(3)①本件割増賃金が割増賃金の支払いにあたるか否かについて
次に、本件最高裁は、①本件割増賃金が全体として時間外労働等に対する対価として支払われるものとされているか否かについて、以下のように判示しました。
※下線部は筆者追記
イ(ア)前記事実関係等によれば、被上告人は、労働基準監督署から適正な労働時間の管理を行うよう指導を受けたことを契機として新給与体系を導入するに当たり、賃金総額の算定については従前の取扱いを継続する一方で、旧給与体系の下において自身が通常の労働時間の賃金と位置付けていた基本歩合給の相当部分を新たに調整手当として支給するものとしたということができる。そうすると、旧給与体系の下においては、基本給及び基本歩合給のみが通常の労働時間の賃金であったとしても、上告人に係る通常の労働時間の賃金の額は、新給与体系の下における基本給等及び調整手当の合計に相当する額と大きく変わらない水準、具体的には1時間当たり平均1300~1400円程度であったことがうかがわれる(第1審判決別紙8参照)。一方、上記のような調整手当の導入の結果、新給与体系の下においては、基本給等のみが通常の労働時間の賃金であり本件割増賃金は時間外労働等に対する対価として支払われるものと仮定すると、上告人に係る通常の労働時間の賃金の額は、前記2の19か月間を通じ、1時間当たり平均約840円となり、旧給与体系の下における水準から大きく減少することとなる。
また、上告人については、上記19か月間を通じ、1か月当たりの時間外労働等は平均80時間弱であるところ、これを前提として算定される本件時間外手当をも上回る水準の調整手当が支払われていることからすれば、本件割増賃金が時間外労働等に対する対価として支払われるものと仮定すると、実際の勤務状況に照らして想定し難い程度の長時間の時間外労働等を見込んだ過大な割増賃金が支払われる賃金体系が導入されたこととなる。
しかるところ、新給与体系の導入に当たり、被上告人から上告人を含む労働者に対しては、基本給の増額や調整手当の導入等に関する一応の説明がされたにとどまり、基本歩合給の相当部分を調整手当として支給するものとされたことに伴い上記のような変化が生ずることについて、十分な説明がされたともうかがわれない。
(イ)以上によれば、新給与体系は、その実質において、時間外労働等の有無やその多寡と直接関係なく決定される賃金総額を超えて労働基準法37条の割増賃金が生じないようにすべく、旧給与体系の下においては通常の労働時間の賃金に当たる基本歩合給として支払われていた賃金の一部につき、名目のみを本件割増賃金に置き換えて支払うことを内容とする賃金体系であるというべきである。そうすると、本件割増賃金は、その一部に時間外労働等に対する対価として支払われているものを含むとしても、通常の労働時間の賃金として支払われるべき部分をも相当程度含んでいるものと解さざるを得ない。
ウ そして、前記事実関係等を総合しても、本件割増賃金のうちどの部分が時間外労働等に対する対価に当たるかが明確になっているといった事情もうかがわれない以上、本件割増賃金につき、通常の労働時間の賃金に当たる部分と労働基準法37条の割増賃金に当たる部分とを判別することはできないこととなるから、被上告人の上告人に対する本件割増賃金の支払により、同条の割増賃金が支払われたものということはできない。
エ したがって、被上告人の上告人に対する本件時間外手当の支払により労働基準法37条の割増賃金が支払われたものとした原審の判断には、割増賃金に関する法令の解釈適用を誤った違法がある。
最高裁は、
- ① 新給与体系を前提とすると通常の労働時間の賃金の額が1時間当たり平均1300~1400円程度から1時間当たり平均約840円と大きく減少すること
- ② 本件割増賃金が時間外労働等に対する対価として支払われるものと仮定すると、実際の勤務状況に照らして想定し難い程度の長時間の時間外労働等を見込んだ過大な割増賃金が支払われる賃金体系が導入されたこととなる
- ③ 基本歩合給の相当部分を調整手当として支給するものとされたことに伴い上記のような変化が生ずることについて、十分な説明がされたともうかがわれない
とした上で、
- ④ 本件割増賃金は、その一部に時間外労働等に対する対価として支払われているものを含むとしても、通常の労働時間の賃金として支払われるべき部分をも相当程度含んでいるものと解さざるを得ない
と判断し、本件時間外手当の支払により労働基準法37条の割増賃金が支払われたものとした原審の判断には、割増賃金に関する法令の解釈適用を誤った違法があると結論づけました。
Ⅲ 本件の実務上の影響
本件最高裁は、割増賃金に関する法令の解釈適用を誤った違法があるとして破棄した上、本件の審理を福岡高等裁判所に差し戻すという判断を下しました。
第一審及び第二審は、②本件時間外手当と③調整手当を区別した上で、②本件時間外手当は割増賃金の支払いにあたると判断していました。
一方、本件最高裁は、②本件時間外手当と③調整手当は全体として①本件割増賃金を構成するものに過ぎない上、①本件割増賃金には対価性が認められないことから、割増賃金の支払いにはあたらないと判断しました。
本件最高裁判決は、賃金体系の見直しを行うにあたり、見直し前と同程度の賃金水準を維持しながら残業代対策を講じるための一手法として、基本給相当額を実質的に下げた上で割増賃金を支払い、見直し前の賃金水準との差額分を調整手当で補うという手法については厳しい判断といえます。
本件最高裁はあくまでも事例判断ではありますが、賃金体系の見直しにあたっては参考となるところも多いかと思われます。
本件に限らず、残業代対策の一手法としてみなし残業代や固定残業代を導入する企業も少なくありませんが、制度設計を誤ればかえって残業代請求リスクを高めることにもなりかねません。
賃金体系の見直しや残業代対策を検討する事業者におかれては、本件最高裁判決の理論もご留意いただきたいと思います。
Ⅳ 参考コラム
重要判例解説 国際自動車事件最高裁判決
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