【質問】

社員Xは、財務主計係としての地位を利用して、不正に当社の売掛金を操作し、その一部を自分のポケットマネーとして着服していたことが判明しました。今回が初めてであり、金額もわずかで全額返済することを約束しているため、戒告処分で留める予定ですが、この返済額を月々の給与から控除することは可能でしょうか。なお、Xは毎月の給与から控除することに同意しています。
また、社員Yに対して、当社の計算ミスにより賃金を支払いすぎていたことが判明しました。そこで、Yに同意なく、払いすぎた分を翌月の給与から控除することを考えていますが、こちらも何か問題があるでしょうか。

【回答】

社員Xの同意が労働者の自由な意思に基づいてされたものであると認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在する場合には、会社は毎月の給与から控除しても労基法24条1項本文に抵触することはありません。ただし、Xの同意がその自由な意志に基づくものであるとの認定は、厳格かつ慎重に行われる必要があります。
社員Yについては、過払いのあった時期と賃金の清算が翌月になされるなど、合理的に接着した時期になされ、あらかじめYに対する予告があるとか、その額が多額にわたらないとか、Yの経済生活の安定を脅かすおそれがない場合であれば、労基法24条1項本文に違反せず適法に控除することが可能です。

【解説】

1. 賃金全額払いの原則

労基法24条1項本文は、「賃金は、通貨で、直接労働者に、その全額を支払わなければならない」と規定しており、会社は原則として社員に対して賃金の全額を支払う必要があります(「賃金全額払いの原則」)。
これは、社員の生活原資を保証するために、賃金全体の受領を確保させる趣旨に出たものとされており、かかる趣旨より、同原則には相殺禁止も含まれると解されています。
したがって、社員の同意がある場合の相殺や、調整的相殺が労基法24条1項本文の賃金全額払いの原則に違反しないかが問題となります。
なお、会社の従業員に対する不法行為に基づく損害賠償請求権と給与との相殺について、日本勧業経済会事件(最高裁昭和36年5月31日判時261号)は、「(労基法24条1項は、)労働者の賃金債権に対しては、使用者は、使用者が労働者に対して有する債権をもって相殺することは許されないとの趣旨を包含するものと解するのが相当である。このことは、その債権が不法行為を原因としたものであっても変わりはない。」と判示しており、不法行為債権と給与との相殺についても労基法24条1項との関係が問題となることに変わりはありません。

2. 社員の同意がある場合(合意による相殺)

前述のとおり、賃金全額払いの原則の趣旨は、生活の基盤である賃金を労働者である社員に対して確実に受領させ、社員の経済生活を保護しようとすることにあるといえます。
そうだとすると、労働者である社員が相殺に同意を与えており、当該同意が労働者の自由な意思に基づいてされたものであると認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在する場合には、かかる趣旨に抵触することもないため、当該同意を得て行った相殺は、労基法24条1項本文に違反しないと解することができます。
もっとも、前述した賃金全額払いの原則の趣旨に鑑みると、社員の同意がその自由な意志に基づくものであるとの認定は、厳格かつ慎重に行われる必要があります(日新製鋼事件(最高裁平成2年11月26日労判584号))。

3. 賃金過払いがあった場合における、僅少な額の相殺(調整的相殺)

これに対して、賃金過払いがあった場合における、僅少額の相殺(調整的相殺)の場合は、実質的にみれば本来支払われるべき賃金はその全額の支払を受けたことになっており、通常の相殺とは異なるものといえます。
そこで、調整的相殺は、その時期、方法、金額等からみて労働者の経済生活の安定を害さない限り、賃金全額払いの原則による相殺禁止の例外として許容されるものと考えられます。
具体的には、過払いのあった時期と賃金の清算・調整の実を失わない程度に合理的に接着した時期になされ、あらかじめ労働者に対する予告があるとか、その額が多額にわたらないとか、労働者の経済生活の安定を脅かすおそれがない場合に限って許容されるものと考えられます(福島県教祖事件(最高裁昭和44年12月18日)。

4. ご相談のケースについて

社員Xは、不正に横領した金銭と毎月の給与との相殺を合意していることから、当該同意が労働者の自由な意思に基づいてされたものであると認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在する場合には、会社は毎月の給与から控除しても労基法24条1項本文に抵触することはありません。ただし、Xの同意がその自由な意志に基づくものであるとの認定は、厳格かつ慎重に行われる必要があることに留意が必要です。
社員Yについては、いわゆる調整的相殺のケースといえ、過払いのあった時期と賃金の清算が翌月になされるなど、合理的に接着した時期になされ、あらかじめYに対する予告があるとか、その額が多額にわたらないとか、Yの経済生活の安定を脅かすおそれがない場合であれば、労基法24条1項本文に違反せず適法に控除することが可能です。