はじめに

ハラスメントは経営を揺るがす重大リスク

サロンという職場は、技術指導や顧客対応においてスタッフ間の密なコミュニケーションが求められる一方、その関係性の近さがハラスメントの温床となる危険性をはらんでいます。パワーハラスメント(パワハラ)、セクシュアルハラスメント(セクハラ)、マタニティハラスメント(マタハラ)といった問題が一度発生し、表面化すれば、それは単なる従業員間のトラブルでは済みません。

被害を受けたスタッフがSNSで告発すれば、顧客からの信頼は一瞬にして失墜し、サロンの評判に回復不能なダメージを与えかねません。法的には、被害者から加害者個人だけでなく、サロン(会社)に対しても多額の損害賠償を求める訴訟が提起される可能性があります。現代の労働法制は、企業に対してハラスメントを「予防」し、発生時には「適切に対処」する積極的な義務を課しています。経営者が「知らなかった」では済まされないのです。

本稿では、パワハラ、セクハラ、マタハラの法的な定義をサロンの現場で起こりうる具体例と共に解説し、なぜサロン自身が法的な責任を問われるのか、その根拠を明らかにします。さらに、すべての事業者に義務付けられているハラスメント防止措置の具体的な内容を提示し、訴訟という事態を回避するための実践的な対策を詳述します。

ハラスメントの法的定義とサロンでの具体例

法律上のハラスメントは、個人の主観的な「不快感」だけでなく、客観的な要件を満たす必要があります。

パワーハラスメント(パワハラ)

パワハラは、労働施策総合推進法(通称:パワハラ防止法)に基づき、以下の3つの要素をすべて満たすものと定義されています。

  1. 職務上の地位や人間関係など、職場内での優越的な関係を背景とした言動
  2. 業務上必要かつ相当な範囲を超えたもの
  3. 労働者の就業環境が害されるもの

サロンにおける典型的な6類型と具体例は以下の通りです。

  • 身体的な攻撃: ミスをしたアシスタントの頭を叩く、カルテを投げつける。
  • 精神的な攻撃: 他のスタッフや顧客の前で「こんなこともできないのか」と大声で罵倒する、人格を否定するような発言を繰り返す。
  • 人間関係からの切り離し: 特定のスタッフを意図的に無視する、ミーティングに参加させない。
  • 過大な要求: 新人スタイリストに到底達成不可能な売上目標を課し、未達を厳しく叱責する。
  • 過小な要求: スタイリストとしてのキャリアがあるスタッフに、嫌がらせ目的で掃除や雑用しかさせない。
  • 個の侵害: スタッフのプライベートな交際関係や性的指向について執拗に詮索し、言いふらす。

セクシュアルハラスメント(セクハラ)

セクハラは、男女雇用機会均等法で規制されており、主に2つの類型に分けられます。

  • 対価型: 労働者の意に反する性的な言動に対し、それを拒否したことを理由に解雇、降格、減給などの不利益を与えること。例:「食事の誘いに応じなければ、シフトを減らす」と示唆する。
  • 環境型: 性的な言動によって職場環境が不快なものとなり、労働者の能力発揮に重大な悪影響が生じること。例:休憩室にヌードポスターを貼る、下品な冗談を繰り返す、トレーニングと称して不必要に身体に触れる。

マタニティハラスメント(マタハラ)

マタハラも男女雇用機会均等法や育児・介護休業法で規制されており、2つの類型があります。

  • 制度利用への嫌がらせ型: 産前産後休業や育児休業の取得を申し出たスタッフに対し、「迷惑だ」「辞めたらどうか」といった嫌がらせを行うこと。
  • 状態への嫌がらせ型: 妊娠したことや出産したこと自体を理由に、「つわりは病気じゃない」「妊婦は使い物にならない」といった言動で就業環境を害することや、本人の意に反して業務を軽減したり、不利益な配置転換を行ったりすること。

 なぜサロンが責任を問われるのか:二つの法的根拠

ハラスメント行為は加害者個人の問題であると同時に、企業(サロン)の法的責任が厳しく問われます。その根拠は主に二つです。

使用者責任

民法第715条に定められる「使用者責任」は、従業員が「事業の執行について」他人に損害を与えた場合、使用者(会社)もその損害を賠償する責任を負うというものです。ハラスメントは、職務に関連して行われることが多いため、この規定が適用され、サロンは加害者の行為に対して金銭的な賠償責任を負うことになります。

安全配慮義務

労働契約法第5条は、使用者が労働者の生命、身体等の安全を確保しつつ労働することができるよう、必要な配慮をする義務(安全配慮義務)を負うと定めています。これには、ハラスメントのない健全な職場環境を維持する義務も含まれます。ハラスメントの発生を放置したり、相談を受けても適切に対応しなかったりすることは、この安全配慮義務に違反する行為(債務不履行)とみなされ、サロンは損害賠償責任を負います。

これらの法的根拠により、訴訟では被害者から加害者とサロンが連帯して賠償を請求されるのが一般的です。そして、資力のあるサロンが実質的な賠償の担い手となるのです。判例では、被害の程度に応じて数百万円から、うつ病の発症や自殺といった深刻なケースでは数千万円規模の賠償が命じられることもあり、経営者個人がハラスメントのリスクを「自分ごと」として捉える必要があります。

 ハラスメントに強いサロンを作るための措置

パワハラ防止法により、大企業だけでなく中小企業を含むすべての事業者に、ハラスメント防止のための雇用管理上の措置を講じることが義務付けられています。サロンが具体的に取り組むべき措置は以下の通りです。

  1. トップのメッセージと方針の明確化: 経営者が「いかなるハラスメントも許さない」という断固たる姿勢を明確に示し、就業規則にハラスメントの禁止規定と懲戒処分に関する規定を明記します。これを全スタッフに周知・啓発することが第一歩です。
  2. 相談窓口の設置と周知: スタッフが安心して相談できる窓口を設置します。担当者を決め、プライバシーが守られることを保証した上で、その存在と利用方法を全スタッフに周知徹底します。外部の専門機関に窓口を委託することも有効な手段です。
  3. 事後の迅速かつ適切な対応体制の整備: 相談があった際に、迅速に事実関係を調査し、対応するための手順をあらかじめ定めておきます。当事者双方から公平にヒアリングを行い、必要に応じて第三者からも話を聞くなど、客観的な事実認定に努めます。
  4. プライバシーの保護と不利益取扱いの禁止: 相談者や調査協力者のプライバシー保護を徹底します。また、ハラスメントの相談をしたことを理由に、解雇や降格、不利益な配置転換などを行うことは法律で固く禁じられており、その旨を就業規則等に明記し、周知する必要があります。
  5. 研修の実施: 全スタッフ、特に店長などの管理職を対象に、ハラスメントに関する研修を定期的に実施し、知識と意識の向上を図ります。

近年では、顧客からの悪質なクレームや嫌がらせ(カスタマーハラスメント)から従業員を守ることも、企業の安全配慮義務の一環と捉える傾向が強まっています。サロンにおいても、理不尽な要求や暴言を吐く顧客への対応マニュアルを作成し、スタッフを一人で対応させない、精神的なケアを行うといった体制を整えることが望まれます。

まとめ

ハラスメント問題が訴訟に発展すれば、サロンは金銭的な損失だけでなく、社会的な信用という大切な資産を失います。訴訟対応にかかる時間的・精神的コストも計り知れません。最も効果的でコストの低い対策は、何よりも「予防」です。経営者が強いリーダーシップを発揮し、ハラスメントを許さないという明確な方針を示し、すべてのスタッフが互いを尊重し合える職場文化を構築することこそが、ハラスメント訴訟に対する有効な防御策となるのです。


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