はじめに:コミュニケーションの変容と労務リスク

Slack、Microsoft Teams、Chatwork等のビジネスチャットツールの導入は、社内コミュニケーションの迅速化とフラット化をもたらしました。しかし、その「即時性」と「非公式性(カジュアルさ)」は、企業法務および労務管理の観点からは諸刃の剣となります。電子メールに比べて心理的なハードルが下がることで、ハラスメント発言、情報漏えい、そして隠れ残業(ステルス残業)といったコンプライアンス違反が誘発されやすい環境が形成されているのです。

特に、テレワークの普及により、チャットツールが「仮想的なオフィス」としての機能を担うようになった現在、チャット上のトラブルは即座に「職場環境配慮義務違反」や「安全配慮義務違反」といった法的責任に直結します。本稿では、利用規程の設計と、モニタリングの実法的な運用基準について解説します。

Q&A:現場の疑問と法的解法

Q1:社内SNSやチャットツール利用規程はなぜ必要なのでしょうか? 就業規則では不十分ですか?

就業規則の一般的な服務規律(「会社の秩序を乱してはならない」等)だけでは、チャットツール特有のトラブルに対処するには不十分であり、懲戒処分の有効性を巡って紛争になるリスクがあります。

罪刑法定主義の類推により、企業が従業員を懲戒処分するためには、あらかじめ禁止行為と処分の内容を具体的に定めておく必要があります(労働基準法第89条、フジ興産事件最高裁判決等)。チャットツールにおける「不適切なスタンプの使用」「既読無視によるいじめ」「業務時間外の過度な連絡」といった具体的な行為類型を、利用規程(またはソーシャルメディアガイドライン)として明文化し、それを就業規則の一部として位置付けることで、法的拘束力と処分根拠が明確になります。

Q2:チャットツールのログを会社が閲覧することは可能でしょうか? プライバシー侵害になりませんか?

この論点は、「企業の施設管理権・業務命令権」と「従業員のプライバシー権」の衝突という憲法論にも通じる重要テーマです。

判例(F社Z事業部事件等)の傾向として、以下の要件を満たす場合、企業によるモニタリングは適法(違法性阻却)とされる可能性が高くなります。

  1. 事前の周知・同意:利用規程等において、「会社は業務上の必要性がある場合、チャットログを閲覧・モニタリングする」旨を明記し、従業員に周知していること。
  2. 業務利用の原則:当該チャットツールが業務専用であり、私的利用が禁止または制限されていること。業務ツールである以上、プライバシーの合理的期待は低減します。
  3. 目的の正当性と手段の相当性:情報漏えいの調査やハラスメントの通報確認など、正当な目的のために、必要な範囲(期間や対象者を限定)で行うこと。無差別かつ常時の監視は、従業員の萎縮効果を招き、不法行為(民法709条)となるリスクが残ります。
Q3:社内SNSでハラスメントが発生した場合、どのように対処すればよいですか?

チャットツール上のハラスメント(テクハラ、リモハラ含む)は、ログという「客観的証拠」が残る点で、従来の口頭でのハラスメントと異なります。

企業は、ハラスメント防止法(労働施策総合推進法)に基づく相談体制の整備義務を負っています。通報があった場合、直ちに事実調査を行う必要がありますが、この際、チャットログの保全(デジタル・フォレンジック)が決定的に重要です。加害者がログを削除・編集する前に、管理権限を行使してデータを確保する必要があります。

認定された事実に基づき、就業規則に則って厳正な処分を行いますが、チャットの文脈(前後の会話、関係性、頻度)を総合考慮して、指導で済むレベルか、懲戒に値するかを慎重に判断しなければなりません。

解説:規程設計と運用の実務

チャットツールにおける「労働時間管理」の法的課題

原稿 1 ではハラスメントや情報漏えいが強調されていますが、実務上深刻なのが「労働時間管理」の問題です。

スマートフォンアプリでの利用が可能なチャットツールは、帰宅後や休日であっても通知が届き、従業員が「反応せざるを得ない」状況を作り出します。上司からの指示に対して返信を行えば、その時間は「労働時間」とみなされる可能性が高く(三菱重工長崎造船所事件最高裁判決の「指揮命令下」の基準)、未払い残業代のリスクが発生します。

フランスの「つながらない権利」のような法制化は日本ではまだ限定的ですが、安全配慮義務の観点から、以下の規定を設けることが望ましいといえます。

  • 時間外の利用制限:原則として勤務時間外の投稿・返信を禁止する。
  • 通知設定の義務化:休日・夜間は通知をオフにすることを推奨・義務化する。
  • 管理職への指導:緊急時を除き、部下への時間外連絡を禁止する。

情報管理と秘密保持の具体策

チャットツールはファイルの共有が容易である反面、誤送信や不正な持ち出しのリスクも高まります。不正競争防止法上の「営業秘密」として保護されるためには、「秘密管理性」の要件を満たす必要があります。チャット上で誰でもアクセスできるオープンチャンネルに顧客リストをアップロードしていた場合、この秘密管理性が否定され、法的保護を受けられなくなる恐れがあります。

したがって、利用規程およびシステム設定において、以下を徹底する必要があります。

  • アクセス権限の最小化:プロジェクト単位で閲覧可能なメンバーを限定する。
  • ゲストアクセスの管理:外部協力者を招待する場合、社内情報の閲覧範囲を厳格に制限し、契約終了後は即座にアカウントを削除する運用フローを確立する。
  • ファイル共有の制限:クラウドストレージへのリンク共有を原則とし、ファイル自体の直接アップロードを制限する等の技術的措置。

懲戒処分の有効性とプロセス

チャットツールでの不適切発言を理由とする解雇や降格が無効とされた裁判例も散見されます。裁判所は、チャットの「会話的な性質」を考慮し、一時の感情的な発言に対して過重な処分を課すことを「解雇権の濫用(労働契約法16条)」や「懲戒権の濫用(同法15条)」と判断する傾向があります。

したがって、規程には段階的な処分(けん責 → 減給 → 出勤停止 → 解雇)を定めた上で、実際の運用においても、まずは注意・指導を行い、改善が見られない場合に重い処分を行うという適正手続きを踏むことが法的に重要です。

弁護士に相談するメリット

弁護士法人長瀬総合法律事務所では、社内SNS・チャットツールの適正運用に関し、以下のサポートを提供しています。

  1. 利用規程およびソーシャルメディアポリシーの策定
    企業の文化や導入ツールの特性に合わせ、労務リスク、情報セキュリティリスク、そして法的要件(懲戒の根拠等)を網羅した実効性の高い規程を作成します。
  2. ハラスメント事案の調査・認定支援
    チャットログの解析を含む事実調査を第三者的な視点から支援し、ハラスメントの該当性判断に関する法的意見書を作成します。これにより、会社としての処分判断の正当性を補強します。
  3. 従業員向けコンプライアンス研修
    具体的な炎上事例や裁判例を用い、チャットツール利用における法的リスクを従業員に理解させる研修を実施します。リテラシー向上は、規程整備と並ぶリスク対策の両輪です。

まとめ

社内SNS・チャットツールは、企業の生産性を向上させる強力な武器ですが、その運用には高度な「法的リテラシー」と「ガバナンス」が求められます。単なるツールの導入で終わらせず、利用規程によるルールの明確化、適切なモニタリングによる牽制、そして教育による意識改革をセットで行うことが、法的トラブルを未然に防ぐ道です。労働法、個人情報保護法、不正競争防止法等の複合的な法的観点から、堅牢な管理体制を構築することが望ましいといえます。


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