はじめに
長時間労働、不規則な勤務、交通渋滞のストレス、荷主との折衝など、運送業界はドライバーが心身の不調をきたしやすい要因を多く抱えています。中でも、うつ病をはじめとするメンタルヘルス不調は、本人にとって辛いだけでなく、集中力や判断力の低下を通じて、重大な交通事故に直結しかねない極めて深刻な問題です。
会社は、労働契約法に基づき、従業員が安全で健康に働けるよう配慮する「安全配慮義務」を負っています。特に、人の命を預かる運送事業者にとって、ドライバーのメンタルヘルスの状態を把握し、適切に対応することは、他の業種以上に重い法的義務と言えます。
不調の兆候を見逃して事故が発生すれば、会社は多額の損害賠償責任を問われるだけでなく、社会的信用を失墜させ、事業の存続すら危うくなります。本記事では、ドライバーがメンタルヘルス不調に陥った際の初期対応から、休職中のサポート、そして最も難しい「復職」の判断と支援まで、会社が取るべき対応を解説します。
Q&A
Q1. 最近、事故を起こしがちになったドライバーから「うつ病かもしれない」と相談を受けました。会社として、まず何をすべきでしょうか?
まず、本人の話をプライバシーに配慮した静かな環境で、真摯に傾聴することが第一歩です。その際、安易な励ましや、自身の経験談を語ることは避け、本人の辛い状況に寄り添う姿勢が重要です。次に、決して会社が病名を判断せず、「専門家の助けを借りよう」と、産業医や心療内科等の専門医への受診を促してください。本人の同意なく、会社が勝手に病院を予約するようなことはしてはなりません。受診の結果、医師の診断書が出されるまでの間、本人の状態に応じて一時的に乗務から外し、内勤業務に切り替えるなどの配慮も検討すべきです。
Q2. 休職中のドライバーとは、会社は一切連絡を取ってはいけないのでしょうか?
「治療に専念させるため、一切連絡しない」というのは、必ずしも正しい対応ではありません。もちろん、業務に関する指示やプレッシャーを与えるような連絡は厳禁です。しかし、社会保険の傷病手当金の申請手続きのサポートや、会社の状況を伝える簡単な連絡など、本人の負担にならない範囲での定期的なコミュニケーションは、むしろ本人の孤立感を和らげ、社会復帰への繋がりを維持する上で有効な場合があります。連絡の頻度や方法は、事前に本人と話し合って決めておくのが望ましいでしょう。
Q3. 主治医から「復職は可能である」という診断書が提出されました。すぐに元の長距離ドライバーの業務に戻して大丈夫ですか?
いいえ、主治医の診断書だけで即断するのは大変危険です。主治医は、あくまで日常生活における病状の回復度を判断しているのであり、特定の業務(特に、高い集中力と体力を要する長距離運転)を遂行できるかまで判断しているとは限りません。最終的な復職の可否と、復職後の業務内容を決定する責任は会社にあります。会社の指定する産業医の意見も聴取した上で、「試し出勤」制度などを活用し、まずは短時間勤務や負担の軽い内勤業務からスタートさせるなど、段階的な復職プランを立てることが不可欠です。
解説
運送業における「安全配慮義務」の重み
労働契約法第5条は、「使用者は、労働契約に伴い、労働者がその生命、身体等の安全を確保しつつ労働することができるよう、必要な配慮をするものとする」と定めています。これが「安全配慮義務」です。
運送事業者にとって、この義務は、
- 長時間労働を是正し、ドライバーが十分な休息を取れるようにすること(物理的な配慮)
- ドライバーの心身の健康状態に注意を払い、不調の兆候があれば適切な措置を講じること(心身の健康への配慮)
の両面から求められます。
特にメンタルヘルス不調は、外見からは分かりにくいため、管理者が日頃からドライバーとのコミュニケーションを密にし、ささいな変化に気づく努力が重要になります。この義務を怠り、ドライバーがメンタル不調を原因として事故を起こした場合、会社は「予見できたはずの事故を防ぐための措置を怠った」として、被害者への損害賠償責任に加え、従業員本人やその家族からも、安全配慮義務違反として訴えられるリスクがあります。
ステップ1:初期対応(不調の発見~休職開始まで)
適切な初期対応が、その後の回復とトラブル防止の鍵を握ります。
不調のサインの把握(管理者の役割)
- 勤怠の変化: 遅刻、早退、欠勤が増える。
- 業務パフォーマンスの変化: 事故やヒヤリハットが増える、簡単な指示を忘れる、報告が遅れる。
- 様子の変化: 表情が暗い、口数が減る、身だしなみが乱れる、ため息が多い。
これらのサインに気づいたら、放置せず、次のアクションに移ります。
面談と受診勧奨
運行管理者や上司が、プライバシーの守られる会議室などで1対1で面談します。
- 「最近疲れているように見えるけれど、何かあった?」など、心配していることを伝え、本人の話に耳を傾けます(傾聴)。
- 「会社の産業医に相談してみないか」「一度、専門の先生に診てもらうのも良いかもしれない」と、あくまで選択肢として受診を勧めます。業務命令として強制することはできません。
診断書提出と休職命令
従業員が受診し、医師から「〇か月の休業を要する」といった内容の診断書が提出された場合、会社は就業規則の「休職規定」に基づいて、休職を発令します。
- 休職を発令する際は、必ず「休職命令書」などの書面で、以下の内容を本人に通知します。
- 休職期間(開始日と満了日)
- 休職中の給与の取り扱い(無給となること、健康保険の傷病手当金制度について案内すること)
- 休職中の連絡先と連絡方法
- 復職の手続きについて
ステップ2:休職中の対応
休職期間中は、本人を静養に専念させることが第一ですが、会社として行うべきサポートもあります。
- 経済的な支援(情報提供)
健康保険の傷病手当金は、本人が申請しなければ支給されません。申請書の書き方や、会社が記入すべき箇所の対応など、手続きをスムーズに進められるようサポートします。 - 定期的な連絡
Q&Aの通り、本人の負担にならない形で、月1回程度、メールや電話で状況を伺います。「焦らずしっかり治してください」というメッセージを伝え、会社が復帰を待っている姿勢を示すことが、本人の安心に繋がります。 - 休職期間の管理
就業規則で定められた休職期間の満了が近づいてきたら、本人にその旨を伝え、復職の意思や見込みについて確認を始めます。
ステップ3:最も重要で難しい「復職」のプロセス
復職のプロセスを焦ったり、手順を誤ったりすると、病状が再発し、再び休職に至るケースが多く、トラブルの原因となります。
復職意思の確認と主治医の診断書
まず、本人に復職の意思があるかを確認します。意思がある場合、主治医による「復職可能」の診断書を提出してもらいます。
産業医等による意見聴取(会社の判断)
- 主治医の診断書に加え、会社の産業医や、会社が指定した専門医にも面談・診察を依頼し、意見を聴取します。主治医と産業医の意見が異なる場合も少なくありません。
- 会社は、これらの専門家の意見を参考にしつつ、最終的に「現在の状態で、当社の〇〇という業務を、安全かつ継続的に遂行できるか」という観点から、復職の可否を 会社自身の責任で 判断します。
復職支援プラン(リハビリ出勤プラン)の作成・実施
いきなり元の業務に戻すのではなく、心身のならし期間を設けます。
プランの例
- 第1週:午前中のみの短時間勤務(業務は軽作業)
- 第2週~第3週:終日の短時間勤務(徐々に本来の業務に近い内容へ)
- 第4週:通常勤務(ただし、残業や長距離運行は禁止)
このプランは本人とよく話し合って作成し、プランの期間中は、上司が毎日簡単な面談を行うなど、きめ細かなフォローアップを行います。
正式な復職と、その後の配慮
リハビリ出勤で問題がないと判断されれば、正式な復職となります。しかし、復職後も数か月は再発のリスクが高い時期です。定期的な上司や産業医との面談を継続し、業務負荷が過重になっていないか、常に注意を払う義務があります。
弁護士に相談するメリット
メンタルヘルス不調者の対応は、医学的な知見と法的な知識が交錯する、極めて専門性の高い領域です。
- 就業規則(休職・復職規定)の整備
貴社の就業規則に、私傷病休職の期間、復職の手続き、試し出勤制度、休職期間満了時の退職に関する規定などが、法的に有効かつ実用的な形で整備されているか診断し、改定をサポートします。 - 各段階における法的判断のサポート
「休職を命じるべきか」「復職の判断は妥当か」「休職期間満了で退職扱いにできるか」といった、一つ一つの判断が法的に問題ないか、具体的な状況に応じて的確なアドバイスを提供します。 - トラブル発生時の代理交渉・訴訟対応
復職をめぐって従業員と意見が対立したり、安全配慮義務違反で損害賠償を請求されたりした場合に、会社の代理人として交渉や訴訟に対応し、法的な防御を尽くします。 - 産業医や専門家との連携支援
会社が産業医等と連携して、適切な復職判断を行うためのプロセス構築を、法的な観点から支援します。
まとめ
ドライバーのメンタルヘルス不調は、もはや「個人の気分の問題」ではなく、会社の安全配慮義務が問われる重大な経営リスクです。不調のサインを見逃さず、休職から復職に至るまで、法的に正しいプロセスと、本人に寄り添う姿勢を両立させて対応することが、何よりも重要です。
適切な対応は、ドライバー本人の人生を守ると同時に、事故を未然に防ぎ、会社のリスクを最小化し、他の従業員が安心して働ける職場環境を維持することに繋がります。
休職・復職の対応に少しでも迷いや不安を感じたら、独断で進める前に、必ず弁護士にご相談ください。弁護士法人長瀬総合法律事務所は、貴社が複雑なメンタルヘルス問題に的確に対処し、安全で健全な経営を実現するためのお手伝いをいたします。
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