はじめに
いざ訴訟を起こそうと決意したとき、まず考えなければならない重要な問題が「どこの裁判所に訴状を提出するか」ということです。これを法律用語で「裁判管轄(さいばんかんかつ)」と言います。もし管轄のない裁判所に訴えを提起してしまうと、せっかく準備した訴状が無駄になったり、裁判が別の裁判所に移されてしまったり(移送)と、時間と労力をロスすることになりかねません。
それだけでなく、裁判管轄は、原告と被告、どちらにとって物理的に裁判所へ通いやすいかという利便性に直結するため、訴訟戦略の第一歩とも言える重要な要素です。
この記事では、民事訴訟における「裁判管轄」の基本的なルールから、当事者にとって有利な裁判所を選ぶための知識、そして契約書であらかじめ管轄を決めておく「合意管轄」の活用法まで解説します。
Q&A:裁判管轄に関するよくある疑問
Q1. 商品の売買契約書に「本契約に関する紛争は、東京地方裁判所を第一審の専属的合意管轄裁判所とする」と書かれていました。私は大阪在住ですが、絶対に東京で裁判をしなければならないのでしょうか?
原則として、その通りです。契約当事者双方が合意の上で特定の裁判所を「専属的」な管轄裁判所と定めた場合、その合意は有効であり、原則としてその裁判所でしか訴訟を提起できなくなります。契約書にサインした時点で、この条項にも同意したとみなされるためです。ただし、その合意が著しく不合理であるなど、特別な事情がある場合には、例外的に他の裁判所への移送が認められる可能性もゼロではありませんが、ハードルは高いです。契約を結ぶ際は、管轄条項にも注意を払うことが重要です。
Q2. お金を貸した相手の今の住所が分かりません。どこに訴えればいいのでしょうか?
裁判管轄の原則は「被告の住所地」ですが、それが不明な場合は、他の管轄を利用することを検討します。例えば、お金を貸した場所、あるいは契約書で返済場所があなたの住所地と定められていれば、あなたの住所地を管轄する裁判所に訴えを提起できる可能性があります(義務履行地管轄)。また、被告が不動産などの財産を国内に持っている場合は、その財産の所在地を管轄する裁判所も利用できます。住所が不明な場合は、弁護士に相談し、どの管轄が利用できるかを法的に検討することをお勧めします。
Q3. 間違った裁判所に訴状を提出してしまいました。この訴えは無効になってしまうのですか?
訴えそのものが直ちに無効になるわけではありません。管轄違いの裁判所に訴状が提出された場合、通常、裁判所は職権で(自らの判断で)、または被告からの申立てによって、管轄権のある正しい裁判所に事件を「移送」します。つまり、訴訟記録一式が別の裁判所に送られ、そこで審理が続けられることになります。ただし、移送手続きには時間がかかりますので、訴訟の開始がその分遅れてしまいます。
解説:裁判管轄のルールを理解する
裁判管轄には、大きく分けて「事物管轄」と「土地管轄」の2種類があります。
1. 地裁か簡裁か?「事物管轄」
事物管轄は、請求する金額(訴額)によって、第一審を「地方裁判所」と「簡易裁判所」のどちらが担当するかを定めたルールです。
- 簡易裁判所
訴額が140万円以下の民事事件を担当します。 - 地方裁判所
訴額が140万円を超える民事事件と、不動産に関する訴訟などを担当します。
例えば、100万円の貸金返還請求なら簡易裁判所、500万円の損害賠償請求なら地方裁判所が第一審の管轄裁判所となります。
2. どの地域の裁判所か?「土地管轄」
土地管轄は、「日本のどこにある」地方裁判所または簡易裁判所に訴えを提起すべきかを定めるルールです。これが一般的に「管轄」として議論される中心的な問題です。
原則は「被告の住所地」(普通裁判籍)
民事訴訟法では、訴えは原則として被告の住所地を管轄する裁判所に提起することになっています(民事訴訟法第4条)。これを「普通裁判籍」と呼びます。「訴えられる側に配慮し、その生活の本拠地で裁判を受ける機会を与える」という考え方に基づいています。被告が法人の場合は、その主たる事務所または営業所の所在地が基準となります。
原告に有利な場所を選べる「特別裁判籍」
法律は、公平性の観点から、特定の場合には被告の住所地以外にも管轄を認めています。これを「特別裁判籍」と言い、原告は普通裁判籍か特別裁判籍のいずれか、自分に都合の良い方を選択できます。
- 義務履行地(民事訴訟法第5条第1号)
これが実務上、最もよく使われます。金銭の支払いを求める訴訟(貸金、売買代金、損害賠償など)では、特に契約で返済場所を定めていない限り、債権者(原告)の住所地が「義務履行地」となります(持参債務の原則)。つまり、東京在住のAさんが福岡在住のBさんにお金を貸した場合、Aさんは自分の住所地である東京の裁判所に訴えを提起できるのです。これは原告にとって有利なルールです。 - 不法行為地(同第5条第9号)
交通事故や名誉毀損など、不法行為に基づく損害賠償請求の場合、その不法行為が行われた場所を管轄する裁判所にも訴えを提起できます。例えば、札幌市で交通事故に遭った名古屋在住の被害者は、加害者の住所地だけでなく、事故現場である札幌市の裁判所にも訴えることができます。 - 財産所在地(同第5条第4号)
被告が日本国内に住所を持たない場合や住所が不明な場合でも、差し押さえ可能な財産(不動産や預金債権など)が日本にあれば、その財産の所在地を管轄する裁判所に訴えることができます。
3. 当事者の意思で決める特殊な管轄
上記の法定の管轄とは別に、当事者の合意などによって管轄が決まる場合があります。
事前に決めておく「合意管轄」
当事者双方が、第一審について特定の裁判所を管轄とすることを合意することができます(民事訴訟法第11条)。これは、将来の紛争に備え、あらかじめ裁判地を明確にしておくために、契約書の中に条項として盛り込まれることが一般的です。
- 専属的合意管轄
「本契約に関する紛争は、〇〇地方裁判所を専属的第一審管轄裁判所とする」という文言です。この場合、他の裁判所に管轄があっても、合意した裁判所でしか訴訟ができなくなります。 - 付加的合意管轄
「〇〇地方裁判所を管轄裁判所にもする」という文言です。この場合、法定の管轄裁判所に加えて、合意した裁判所も選択肢の一つとなります。
暗黙の合意「応訴管轄」
原告が管轄のない裁判所に訴えを提起してしまった場合でも、被告が特に管轄違いを主張せず(移送の申立てをせず)、請求内容についての反論(本案の弁論)をしたときは、その裁判所に管轄が生じます(民事訴訟法第12条)。被告が応じたことで、暗黙のうちにその裁判所を管轄とすることに合意したとみなされるためです。
弁護士に相談するメリット
裁判管轄の選択は、単なる事務手続きではなく、訴訟全体の利便性やコスト、ひいては勝敗にも影響を与えかねない戦略的な判断です。
- 最適な管轄裁判所の選定
弁護士は、事案の内容を法的に分析し、利用可能な複数の管轄の中から、依頼者にとって最も有利な(時間的・経済的負担が少ない)裁判所を選択するための専門的なアドバイスを提供します。特に義務履行地管轄をうまく使えるかは重要なポイントです。 - 契約書作成・レビュー
ビジネス契約書などを作成する際、将来の紛争リスクを想定し、自社に有利な合意管轄条項を盛り込むための助言を行います。また、相手方から提示された契約書の管轄条項が不利なものでないかをチェックします。 - 被告側としての戦略的対応
訴えられた側(被告)として、原告が選択した裁判所が不当に遠方である場合など、管轄違いを主張して地元の裁判所に「移送の申立て」をすべきか否かを戦略的に判断します。
まとめ
訴訟を提起する上で、「どこの裁判所を選ぶか」という管轄の問題は、避けては通れない最初の関門です。原則は「被告の住所地」ですが、金銭請求における「義務履行地」のルールを理解しておけば、原告は自分の地元の裁判所で裁判を起こせる可能性が高まります。
また、契約社会においては、安易にサインした契約書の「合意管轄条項」が、将来自分を縛る可能性も認識しておく必要があります。
裁判管轄の判断に迷ったとき、あるいは少しでも有利な条件で訴訟を進めたいと考えるときは、訴訟戦略の第一歩として、ぜひ弁護士にご相談ください。弁護士法人長瀬総合法律事務所では、個々の事案に最適な裁判管轄の選定からサポートいたします。
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