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2026年労務リスク総点検|カスハラ対策義務化・労基法改正動向・社会保険制度改正への実務対応

目 次
  1. はじめに ― 「後追い対応」から「予防設計」へ
  2. カスタマーハラスメント対策義務化の意義 ― 「困った顧客対応」から「雇用管理上の義務」へ
  3. カスハラの対象範囲 ― 「職場」「労働者」「顧客等」を広く捉える
  4. カスハラ該当性の判断 ― 「要求内容」と「手段・態様」の両面から
  5. 企業が負う法的責任 ― 安全配慮義務と損害賠償リスク
  6. カスハラ対策として整備すべき社内体制 ― 5つの柱
  7. 求職者等に対するセクシュアルハラスメント対策との関係
  8. 労働基準法改正動向 ― 「確定義務」と「検討論点」を分けて考える
  9. 連続勤務・勤務間インターバル・つながらない権利への先行対応
  10. 副業・兼業と労働時間通算 ― 「許可制」から「管理設計」へ
  11. 社会保険適用拡大 ― 給与計算だけでなく雇用設計の問題
  12. 在職老齢年金・こども子育て支援金等への対応
  13. 経営者・人事労務ご担当者が実施すべき総点検 ― 10のチェックポイント
  14. まとめ ― 法改正対応は、従業員を守る経営戦略である

2026年は、企業の労務管理にとって大きな節目の年となります。カスタマーハラスメント対策の義務化、労働基準法の改正動向、社会保険制度の見直しが重なり、経営者や人事労務のご担当者は、これらを横断的に点検する必要があります。本稿では、施行が確定している事項と検討段階の論点を整理し、各企業がいま着手すべき実務対応を、できる限り平易な表現でご説明します。

1 はじめに ―「後追い対応」から「予防設計」へ

本稿は、当事務所が開催する「2026年労務リスク総点検セミナー」の解説として、企業経営者、人事労務ご担当者、法務ご担当者、店舗・施設の責任者、士業の先生方を想定読者にお届けするものです。個別の制度改正を断片的にご紹介するのではなく、2026年以降の労務管理において、企業がどのリスクを優先的に点検し、どの順序で社内体制を整えるべきかという観点から整理しました。

2026年の労務管理を考えるうえで重要なのは、法改正に追われる受動的な対応ではなく、予防的な体制設計です。カスタマーハラスメント対策は、クレーム対応マニュアルの問題ではなく、従業員の生命・身体・精神的健康を守る安全配慮義務の問題であり、顧客対応の限界線を組織として定められるかという経営課題でもあります。

労働基準法制の見直しも、法案の成立を待ってから動き出せばよいというものではありません。現行法上すでに求められている労働時間の把握、36協定の運用、割増賃金の管理、就業規則の整備といった足元の体制を点検することが、改正対応の出発点になります。社会保険・年金制度の変更も、給与計算ご担当者だけの問題ではなく、採用、雇用契約、パート・アルバイトの労働時間設計、シニア人材の活用、従業員説明にまで広く影響します。

本稿では、まずカスハラ対策義務化の法的根拠と実務対応を確認し、次に労働基準法の改正動向を現行法上の義務と将来論点に分けて整理します。そのうえで、社会保険適用拡大、在職老齢年金、こども・子育て支援金制度など、給与・雇用管理に影響する制度変更への対応をご紹介します。

2 カスタマーハラスメント対策義務化の意義 ― 「困った顧客対応」から「雇用管理上の義務」へ

カスタマーハラスメント、いわゆるカスハラとは、顧客、取引先、施設利用者等による著しい迷惑行為や不当要求を指す言葉として用いられてきました。改正後の労働施策総合推進法では、感覚的な「困った顧客対応」ではなく、事業主が雇用管理上講じなければならない措置の対象として、法的に整理されている点が大きなポイントです。

厚生労働省が告示した、いわゆるカスハラ指針では、職場におけるカスタマーハラスメントは、①顧客等の言動であること、②労働者が従事する業務の性質その他の事情に照らして社会通念上許容される範囲を超えること、③当該言動により労働者の就業環境が害されること、という3つの要素をすべて満たすものとされています。

ここで注目していただきたいのは、カスハラ対策が企業の努力目標ではなく、雇用管理上講じるべき措置として位置づけられている点です。事業主は、顧客等との関係を理由に、従業員を無防備な状態に置くことはできません。

もっとも、顧客等からの苦情や改善要求がすべてカスハラに該当するわけではありません。商品やサービスに不備があった場合に、顧客が説明、交換、返金、再発防止策を求めることは、社会通念上許容される範囲内であれば正当な申入れです。企業としては、正当な苦情対応と、人格攻撃・威迫・過大要求・長時間拘束等を伴うカスハラとを、明確に区別しなければなりません。

したがって、企業の実務対応として求められるのは、「顧客第一」の名のもとに従業員を犠牲にする姿勢でもなく、「クレームはすべて拒否する」という極端な姿勢でもありません。正当なご意見には誠実に向き合いつつ、社会通念上許容される範囲を超えた言動には組織として毅然と対応する、均衡の取れた体制を整えることが、義務化への正しい対応の姿といえます。

3 カスハラの対象範囲 ― 「職場」「労働者」「顧客等」を広く捉える

カスハラ対策の実務でしばしば見落とされがちなのが、対象範囲の広さです。

まず「職場」とは、事業主が雇用する労働者が業務を遂行する場所を指します。通常就業している場所だけでなく、取引先の事務所、商談のための飲食店、顧客のご自宅、施設外イベント、出張先、さらに電話、メール、チャット、SNS等のインターネット上の対応も、業務として行われている以上、対象となり得ます。

また「労働者」には、正社員だけでなく、パートタイム労働者や契約社員等の非正規雇用労働者も含まれます。派遣労働者についても、派遣元だけでなく派遣先においても、一定の場面で同様の配慮や措置が求められます。店舗やコールセンターの現場では、正社員よりもむしろパート・アルバイト・派遣社員の方々が顧客と直接接する頻度が高いことを踏まえ、雇用形態を問わず、相談や保護の対象に含める必要があります。

さらに「顧客等」は、既存のお客様だけに限られません。将来商品やサービスを利用する可能性のある潜在的顧客、お問い合わせをされる方、取引先のご担当者、契約交渉のお相手、施設利用者およびそのご家族、施設の近隣にお住まいの方など、事業に関係を有する方が広く含まれます。そのため、BtoCの業種だけでなく、BtoB取引、医療・介護、教育、公共施設、運送、不動産管理、建設、士業、ITサポートなど、多様な業種が対象となります。

実務上は、顧客接点を部門ごとに棚卸しすることが出発点です。営業、店舗、受付、電話窓口、カスタマーサポート、配送、修理、訪問介護、医療事務、学校窓口、管理会社のクレーム対応など、顧客等の言動にさらされる場面を洗い出し、どの場面でどのようなリスクが起きやすいかを把握します。そのうえで、現場担当者が一人で抱え込まずに、上席者・管理部門・法務・外部弁護士へつなぐルートを明確にしておくことが重要です。

4 カスハラ該当性の判断 ― 「要求内容」と「手段・態様」の両面から

カスハラに該当するかどうかは、顧客等の要求内容と、その要求を実現しようとする手段・態様の双方から判断されます。カスハラ指針も、社会通念上許容される範囲を超える言動について、要求内容が契約内容からみて相当性を欠く場合、または手段・態様が相当でない場合を想定しています。

要求内容が不相当な例としては、商品・サービスと関係のない要求、契約内容を著しく超えるサービス提供要求、実現不可能な対応の要求、不当な損害賠償請求、従業員個人への私的な要求、性的要求、プライバシーに関わる要求などが挙げられます。たとえば、契約で予定されていない無償対応を長期間求め続ける、合理的根拠のない高額賠償を求める、ご担当者の個人連絡先やご自宅住所の開示を求めるといった行為は、要求内容自体が相当性を欠く可能性が高いといえます。

他方で、要求内容に一定の正当性がある場合でも、手段・態様が不相当であればカスハラに該当し得ます。典型例としては、暴行、傷害、物を投げつける行為、脅迫、侮辱、人格否定発言、名誉毀損、土下座の強要、大声での威圧、長時間の居座り、電話による拘束、同一質問の執拗な反復、揚げ足取り、SNSへの悪評投稿をほのめかす発言、従業員のプライバシー情報の投稿、盗撮・無断撮影などがあります。これらは、顧客側に一定の不満があったとしても、社会通念上許容される範囲を超えるものとして、組織的な対応が必要です。

ただし、企業側に商品・サービスの瑕疵、説明不足、不適切な対応があった場合には、顧客の不満の背景として考慮されることがあります。そのため初動段階では、相手方の発言の一部だけを切り取って判断するのではなく、契約内容、事案の経緯、会社側の落ち度、要求の合理性、発言の頻度や時間、場所、態様、従業員の心身への影響を、総合的に記録し評価することが必要です。

社内基準を作成する際にも、「悪質なクレームには対応しない」と抽象的に書くだけでは不十分です。現場が判断できるよう、たとえば「1回の電話対応時間は原則30分を上限とする」「人格攻撃・脅迫・土下座要求があった場合は上席者に交代する」「退去要請後も居座る場合は警察への相談を検討する」「SNS投稿をほのめかす威迫があった場合は記録を保存し法務へ報告する」など、具体的で運用可能な判断基準にまで落とし込むことが大切です。

5 企業が負う法的責任 ― 安全配慮義務と損害賠償リスク

カスハラ対応において、企業が最も意識すべき法的根拠は、労働契約法第5条の安全配慮義務です。同条は、使用者は、労働契約に伴い、労働者が生命、身体等の安全を確保しつつ労働できるよう、必要な配慮をすべき義務を負う旨を定めています。

顧客等からの暴言、脅迫、長時間拘束、人格攻撃が継続し、従業員が精神的負荷により休職・退職・メンタル不調に至った場合、会社が事前の予防措置や事後対応を怠っていれば、安全配慮義務違反が問題となり得ます。

また、民法上の責任も視野に入れる必要があります。使用者の安全配慮義務違反は、民法第415条の債務不履行責任として構成されることがあるほか、民法第709条の不法行為責任や、管理職・従業員の対応に関する民法第715条の使用者責任が問題となる場合もあります。顧客対応の現場で、上司が「お客様だから我慢しなさい」「あなたの対応が悪いからだ」といった不適切な指示をし、従業員の被害を深刻化させた場合には、会社内部のハラスメント問題にも発展し得ます。

労働安全衛生法上も、長時間労働や心理的負荷による健康リスクを放置することは許されません。カスハラ事案が長時間対応、深夜対応、休日対応、担当者の孤立を伴う場合、単なる顧客対応問題ではなく、健康確保措置やメンタルヘルス対策の観点からも、組織として管理が必要となります。

さらに、カスハラ対応を怠ることは、法的責任にとどまらず、経営上の損失にもつながります。従業員の士気低下、離職、採用力の低下、接客品質の低下、SNS炎上への萎縮、管理職の負担増加、労基署・労働局対応、損害賠償請求など、波及範囲は広範です。特に人手不足が深刻な業種では、従業員を守れない企業は、優秀な人材から選ばれにくくなります。

したがって、カスハラ対策は、「顧客との揉め事を処理するためのマニュアル」ではなく、「従業員を守り、事業継続性を確保するためのリスクマネジメント」と捉える必要があります。この視点を経営層が明確に共有しない限り、現場任せの場当たり的対応に終始し、義務化への対応として評価されない結果となります。

6 カスハラ対策として整備すべき社内体制 ― 5つの柱

カスハラ対策として、企業がまず整備すべきものは、方針、相談体制、対応手順、教育、契約・利用規約の5点です。

第一に、会社方針の明確化です。会社は、従業員に対する暴行、脅迫、侮辱、人格否定、長時間拘束、過大要求、SNSでの晒し行為等に対して毅然と対応し、従業員を保護する旨を明文化する必要があります。これは社内規程に定めるだけでなく、顧客向けのウェブサイト、店舗掲示、利用規約、契約書、取引基本契約、申込書、重要事項説明書などにも反映させることが望ましいといえます。顧客等に対しても会社としての方針を事前にお示しすることで、予防的な効果が期待できます。

第二に、相談体制の整備です。カスハラ被害は、現場担当者が「自分の対応が悪かったのではないか」と抱え込んでしまいやすいものです。相談窓口、報告フォーム、緊急連絡先、管理職へのエスカレーション基準を整備し、相談したことを理由とする不利益取扱いを禁止することが必要です。派遣社員、パート、アルバイト、短時間勤務者の方々も、相談対象に含めるべきです。

第三に、対応手順の策定です。初動では、事実確認、記録保存、担当者の交代、複数名対応、対応時間の制限、録音・録画のルール、退去要請、警察相談、弁護士対応への切替基準を定めます。記録様式には、発生日、場所、相手方、要求内容、発言内容、対応者、同席者、録音等の有無、業務支障、従業員の心身への影響、会社側の対応を記載できるようにしておきます。

第四に、従業員教育です。教育内容は、「丁寧に対応しましょう」というだけでは不十分です。正当なクレームとカスハラの区別、お断りしてよい要求、上席者へ引き継ぐ基準、用いてよい表現・避けるべき表現、SNS拡散をほのめかされた場合の対応、警察・弁護士連携の基準など、実際の場面を想定したロールプレイ形式での研修が有効です。

第五に、契約書・利用規約の見直しです。継続的サービス、施設利用、介護・医療、教育、運送、不動産管理、士業顧問、ITサポート等の業務では、迷惑行為、威迫行為、過大要求、無断撮影、従業員への私的接触、SNS投稿、反社会的言動などを禁止し、違反時にはサービス停止、利用停止、契約解除、出入り禁止、損害賠償請求、警察・弁護士への相談を行うことがある旨を定めておくことが望まれます。

これらの整備は、施行直前に形式的に文書を作るだけでは十分ではありません。少なくとも、現場ヒアリング、リスク分類、規程・規約改定、研修、相談窓口の周知、記録様式の導入、実際の運用テストまで一通り行う必要があります。

7 求職者等に対するセクシュアルハラスメント対策との関係

カスハラ対策義務化とあわせて、求職者等に対するセクシュアルハラスメント対策も重要な論点です。

採用活動中の学生、インターンシップ参加者、求職者、内定者の方々は、雇用契約締結前であっても、企業との力関係において弱い立場に置かれやすい存在です。採用ご担当者、面接官、OB・OG訪問担当者、配属予定部署の管理職などによる不適切な言動は、企業の法的・社会的責任を招くことになります。

実務上は、採用活動に関する接触ルールを明確にすることが必要です。面接・面談は、原則として会社管理下の場所またはオンラインシステムで行い、深夜・飲酒を伴う場での個別面談は避けます。私的なSNSやメッセージアプリによる連絡は制限します。採用担当者向けには、性的言動、交際要求、容姿や恋愛経験への質問、宿泊・飲酒を伴う接触、選考上の優越的地位を利用した誘導等が許されないことを、研修を通じて徹底します。

また、学生・求職者の方々から相談できる窓口を設け、相談したことを理由に選考上不利に扱わないことを明示します。採用活動の委託先、紹介会社、外部面接官、OB・OG訪問に関与する社員にも、同様のルールを適用することが望ましいといえます。カスハラ対策と同様、制度上の義務に対応するだけでなく、採用ブランドを守る観点からも、早期に社内体制を整える必要があります。

8 労働基準法改正動向 ― 「確定義務」と「検討論点」を分けて考える

次に、労働基準法改正の動向を確認します。ここで重要なのは、現時点ですでに企業が負っている現行法上の義務と、今後の改正検討論点とを区別することです。

報道やセミナー情報では、「勤務間インターバル」「連続勤務規制」「つながらない権利」「副業・兼業の労働時間通算」といった言葉が先行しがちです。しかし、法務・労務実務の観点からは、まず現行法上の基本義務を点検し、そのうえで将来の改正に備えるという順序が大切です。

労働基準法第32条は、原則として、1日8時間、1週40時間を超えて労働させてはならない旨を定めています。労働基準法第36条に基づく36協定を締結・届出しなければ、法定時間外労働・法定休日労働を命じることはできません。時間外、休日、深夜労働については、同法第37条に基づき割増賃金を支払う必要があります。さらに、労働時間、休憩、休日、賃金、退職、服務規律、懲戒等については、同法第89条に基づき就業規則に定めなければなりません。

したがって、労基法改正への備えとして、最初に確認すべき事項は、改正法案の内容そのものではなく、自社が現行法を正しく運用できているかという点です。36協定の限度時間を超えていないか、特別条項の発動理由が形式的になっていないか、勤怠記録と実労働時間が乖離していないか、固定残業代制度が有効に設計されているか、管理監督者扱いが濫用されていないか、テレワーク中の労働時間管理が曖昧になっていないかを、改めて点検する必要があります。

厚生労働省の労働政策審議会労働条件分科会では、2025年から2026年にかけて、労働基準関係法制について継続的な審議が行われています。企業実務としては、現行制度を前提としながらも、将来的な規制強化や制度の明確化に備えた体制整備を、今のうちから進めることが望まれます。

9 連続勤務・勤務間インターバル・つながらない権利への先行対応

今後の労働時間法制を考えるうえで、企業が先行して点検しておきたい論点が、連続勤務、勤務間インターバル、業務時間外の連絡です。

まず、連続勤務の問題です。現行法上、休日については労働基準法第35条が、毎週少なくとも1回の休日、または4週間を通じ4日以上の休日を与えることを定めています。しかし、形式的に休日を付与していても、実態として長時間労働、深夜労働、休日対応、緊急呼出しが継続している場合には、従業員の疲労蓄積や健康障害のリスクは高まります。企業としては、単に法定休日を与えているかだけでなく、勤務シフト、休日出勤、代休・振替休日、連続出勤日数、深夜明け勤務の実態を確認することが大切です。

次に、勤務間インターバルです。勤務間インターバル制度は、終業時刻から次の始業時刻までの間に、一定時間の休息を確保する制度です。現時点で全企業に一律の罰則付き義務として完全に制度化されているわけではありませんが、健康確保措置、安全配慮義務、過重労働防止の観点から、導入または実態把握の必要性は高まっています。深夜まで働いた翌朝に通常どおり出勤する、顧客対応で夜間連絡が常態化する、管理職が休日もチャット対応を続けるといった運用は、将来の法改正を待たずに、現時点から見直すべきです。

さらに、いわゆる「つながらない権利」も重要な論点です。日本法上、現時点で独立した包括的な権利として明文化されているわけではありませんが、業務時間外のメール、チャット、電話、SNS連絡が、実質的に業務指示と評価される場合には、労働時間該当性や時間外労働の問題が生じます。休日・深夜に即時応答を求められる状態が続けば、メンタルヘルスや安全配慮義務の問題にも発展し得ます。

企業の実務対応としては、業務チャット・メールの利用ルールを定めることが有効です。原則として深夜・休日の業務連絡を避ける、緊急連絡の定義を限定する、返信期限を明示する、管理職が時間外連絡を抑制する、通知オフを認める、時間外対応が必要となった場合は勤怠申請につなげるといった運用が考えられます。これらは将来の法改正への備えであるだけでなく、現時点でも、未払残業代リスクや健康障害リスクを軽減する実務上の施策となります。

10 副業・兼業と労働時間通算 ― 「許可制」から「管理設計」へ

副業・兼業は、人材確保、専門性の活用、従業員のキャリア形成という観点から広がりを見せています。他方で、企業実務の側からみると、労働時間通算、健康管理、情報漏えい、競業避止、利益相反、労災リスクなど、多くの論点を伴うテーマでもあります。

労働基準法第38条第1項は、事業場を異にする場合でも労働時間を通算する旨を定めています。従業員が本業の労働時間と副業先の労働時間を合算した結果、法定労働時間を超える場合には、割増賃金や健康確保の問題が生じ得ます。ただし、実務上は、他社での労働時間をどのように把握し、どの範囲で会社が責任を負うかが難しい論点です。

そのため、副業・兼業を認める場合には、申請・届出制度、労働時間の自己申告、業務内容の確認、競業・秘密保持の確認、健康状態の確認を、制度として整備することが必要です。

就業規則上は、副業・兼業を全面禁止するのではなく、会社の業務に支障を及ぼす場合、企業秘密が漏えいするおそれがある場合、競業関係にある場合、長時間労働により健康確保が困難となる場合、会社の信用を害する場合に、制限または不許可とする設計が考えられます。重要なのは、許可・不許可の基準を明確にし、恣意的な運用を避けることです。

労働時間管理の観点からは、副業・兼業者の自己申告を定期的に更新し、申告内容に変化があった場合の報告義務を定めておきます。健康管理の観点からは、長時間労働が見込まれる従業員に対して、面談、業務量の調整、副業時間の見直しを促すことが望ましいといえます。

副業・兼業の拡大は避けられない流れであるからこそ、企業は「黙認」ではなく、「制度として管理する」方向に舵を切ることが求められます。

11 社会保険適用拡大 ― 給与計算だけでなく雇用設計の問題

第三のテーマは、社会保険・年金制度への実務対応です。社会保険適用拡大は、給与計算ご担当者だけの問題にとどまりません。短時間労働者、パート・アルバイト、シニア人材の働き方、採用条件、労働時間設計、従業員の手取り額、会社の法定福利費に影響するため、経営判断と一体で検討する必要があります。

日本年金機構の公表情報によれば、特定適用事業所とは、一定期間以上、厚生年金保険の被保険者数が一定規模以上となることが見込まれる企業等を指し、短時間労働者についての健康保険・厚生年金保険の加入対象が、段階的に拡大されてきました。今後のスケジュールとしては、令和9年10月から、厚生年金保険の被保険者数が36人以上の企業等で働く短時間労働者が加入対象となること、短時間労働者の要件として、週所定労働時間20時間以上、学生でないこと、所定内賃金月額8.8万円以上であることなどが示されています。なお、月額8.8万円要件は、令和8年10月に撤廃される予定とされています。

企業が行うべき実務対応は、対象者の洗い出しから始まります。雇用契約書、労働条件通知書、シフト表、所定労働時間、賃金台帳、学生区分、事業所規模を確認し、加入対象者を把握します。

次に、社会保険加入による本人負担、会社負担、手取り額への影響を説明できる資料を整備します。従業員からは、「手取りが減るのではないか」「勤務時間を減らしたい」「扶養のままでいたい」といったご相談が想定されます。人事ご担当者が、制度の趣旨と影響を分かりやすく説明できる体制を作っておくことが大切です。

雇用設計の見直しも重要です。保険料負担を避けることだけを目的に労働時間を不自然に抑制すれば、人材確保や業務運営に支障が生じる可能性があります。反対に、社会保険加入を前提に、長く安定して働いていただける人材戦略を採ることも考えられます。社会保険適用拡大は、単なるコスト増ではなく、従業員の安心感、採用競争力、定着率向上に関わる制度変更として位置づけることが重要です。

12 在職老齢年金・こども子育て支援金等への対応

在職老齢年金の見直しは、シニア人材の活用と密接に関係します。在職老齢年金制度は、老齢厚生年金を受給しながら厚生年金保険に加入して働く場合に、賃金と年金額の関係に応じて年金の一部または全部が支給停止となり得る制度です。支給停止基準額の引上げは、一定の収入を得ながら働く高齢者の方の就労継続に影響するとともに、企業にとっても、定年後再雇用、嘱託社員、短時間勤務、役職定年後の処遇設計に関わる論点です。

実務上は、シニア社員の方に対して、年金額の個別試算を会社が断定的に説明することは避けるべきです。会社としては、制度の概要、給与設計上の考え方、勤務時間・賃金・社会保険加入の影響を説明したうえで、個別の年金額については、年金事務所、ねんきんネット、社会保険労務士等によるご確認をお勧めするのが適切な対応です。誤った説明に基づいてご本人が勤務条件を決定された場合、後日の紛争化につながるおそれがあります。

こども・子育て支援金制度についても、給与実務への影響があります。医療保険制度を通じた拠出等として整理される制度については、健康保険料等と同様に、給与明細、控除項目、従業員説明、会社負担の把握が必要となります。従業員にとっては、給与明細に新たな項目が表示された際に、制度の趣旨や負担の根拠について疑問が生じやすいものです。人事・給与ご担当者は、制度の正式名称、開始時期、控除方法、会社負担の有無、説明文例を、あらかじめ準備しておくことが望まれます。

この分野では、金額基準、保険料率、徴収開始時期、政省令、保険者通知、給与計算システムの仕様など、実務上の細部が重要となります。ホームページ掲載やセミナー実施の直前には、厚生労働省、日本年金機構、こども家庭庁、加入されている健康保険組合、協会けんぽ等の最新情報をご確認のうえ、制度説明を更新していただくようお願いします。

13 経営者・人事労務ご担当者が実施すべき総点検 ― 10のチェックポイント

以上を踏まえ、2026年の労務リスク総点検として、企業が実施すべき事項を整理いたします。

第一に、カスハラ対応方針の策定です。会社として、どのような言動を許容しないのか、従業員をどのように守るのかを明文化します。第二に、相談窓口と報告ルートの整備です。現場、管理職、人事、法務、経営層、弁護士、警察相談という流れを、明確にしておきます。第三に、対応記録の様式の作成です。口頭の記憶に頼らず、事実関係を証拠化できるようにします。第四に、契約書・利用規約・店舗掲示・ウェブサイトのカスハラ条項の見直しです。第五に、従業員教育の実施です。現場が判断に迷わない基準を、組織として共有します。

第六に、労働時間管理の点検です。36協定、勤怠記録、PCログ、チャット履歴、休日出勤、深夜対応、固定残業代、管理監督者、テレワークの実態を確認します。第七に、勤務間インターバルと時間外連絡ルールの整備です。深夜・休日の連絡、緊急対応、返信期限、通知オフ、時間外申請のルールを定めます。第八に、副業・兼業規程の整備です。申請制、労働時間申告、競業・秘密保持、健康確保を、明確にしておきます。

第九に、社会保険対象者の洗い出しです。短時間労働者、学生、シニア社員、再雇用者、複数事業所勤務者、雇用契約変更予定者を確認します。第十に、従業員説明資料の準備です。社会保険加入、手取り額、年金、支援金、給与明細表示について、誤解が生じないよう平易な言葉で説明できるよう備えます。

これらの対応は、どれか一つを行えば足りるものではありません。カスハラ対策、労働時間管理、社会保険対応は、相互に関連しています。たとえば、カスハラ対応が長時間化すれば労働時間管理の問題となり、メンタル不調が生じれば安全配慮義務の問題となります。短時間労働者の方が社会保険加入対象となれば、勤務時間設計やシフト管理が変わり、労働時間法制とも関連します。したがって、経営者・人事労務ご担当者は、個別テーマではなく、労務管理体制全体として点検することが重要です。

14 まとめ ― 法改正対応は、従業員を守る経営戦略である

本セミナーで最もお伝えしたいことは、2026年の労務対応は、単なる法令遵守の問題ではなく、企業が従業員を守り、持続的に事業を運営していくための経営戦略であるという点です。

カスハラ対策は、顧客との対立を煽るためのものではありません。正当なご意見には誠実に対応しつつ、従業員に対する暴言、威迫、人格攻撃、過大要求を許さないという、組織の姿勢を示すものです。労働時間管理の見直しも、労基署対応を避けるための消極的な対応ではなく、従業員の健康と生産性を守るための基盤づくりです。社会保険・年金制度への対応は、給与計算の事務処理にとどまらず、従業員が安心して働ける環境づくりに直結します。

対応を後回しにした場合、行政指導、未払残業代請求、安全配慮義務違反、損害賠償請求、従業員の離職、採用力の低下、SNS炎上といったリスクが、現実のものとなります。他方で、早期に体制を整えれば、従業員から信頼される職場をつくることができますし、顧客に対しても、適正なサービス提供基準を示すことができます。

経営者・人事労務ご担当者には、法改正を「外部から課される負担」と捉えるのではなく、自社の労務管理を見直す機会として、前向きに活用していただきたいと思います。本稿が、自社の規程、契約書、勤怠管理、給与実務、従業員教育を総点検する出発点となれば、幸いです。

当事務所では、カスハラ対策をはじめとする労務管理の体制整備、社内規程の見直し、従業員研修、相談窓口の運用、実際の事案対応まで、企業の人事労務に関する一貫したサポートを行っております。ご相談をご希望の場合は、お気軽にお問い合わせください。


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