はじめに
美容室の経営が順調に進み、2店舗、3店舗と多店舗展開を実現することは、多くの経営者様にとっての目標の一つです。組織が拡大すれば、各店舗の繁閑の調整、新店舗の立ち上げ、あるいはスタッフのスキルアップやマンネリ化防止を目的として、「人事異動(配置転換)」を行う必要性が生じます。
しかし、美容師やスタッフにとって、勤務地の変更は生活環境に直結する重大な問題です。「通勤時間が長くなるから嫌だ」「今の店舗のお客様と離れたくない」といった理由で異動を拒否されるケースは後を絶ちません。このとき、経営者が「業務命令だから」と強引に異動を進めれば、離職を招くだけでなく、法的な紛争に発展するリスクがあります。
本稿では、多店舗展開を行う美容室経営者様に向けて、スタッフの配置転換(配転)を行う際の法的権限、異動命令が有効となる要件、そしてスタッフが拒否した場合の適切な対応策について解説します。
Q&A
Q1. 就業規則に「転勤を命じることがある」と書いてあれば、本人の同意がなくても異動させることはできますか?
原則として可能ですが、無制限ではありません。
就業規則や雇用契約書に「業務の都合により配置転換を命じることがある」という包括的な合意(配転命令権の根拠)があれば、個別の同意がなくても法的に異動を命じることは可能です。しかし、その命令が「権利の濫用」にあたる場合は無効となります。具体的には、「業務上の必要性が低い」「嫌がらせ目的である」「スタッフが受ける不利益が通常甘受すべき程度を超えている(例:通勤が往復4時間になる、育児・介護が不可能になる)」といった事情がある場合、命令は無効となる可能性が高いです。
Q2. パート・アルバイトのスタッフも店舗移動させることはできますか?
契約内容によりますが、正社員よりもハードルが高い傾向にあります。
パートタイム労働者の場合、「自宅から近いからこの店で働いている」というケースが多く、雇用契約書で「勤務地を〇〇店に限定する」と定めていることが一般的です(勤務地限定契約)。勤務地が契約で特定されている場合、原則として本人の同意なしに他の店舗へ異動させることはできません。契約書に勤務地の限定がない場合でも、実態として長期間特定の店舗のみで勤務していた場合は、慎重な対応が求められます。
Q3. スタッフが異動を頑なに拒否した場合、解雇することはできますか?
リスクが高いため、安易な解雇は避けるべきです。
有効な配転命令に従わないことは業務命令違反となり、懲戒処分の対象になり得ます。しかし、即時の解雇(普通解雇や懲戒解雇)は、「解雇権の濫用」として無効と判断されるリスクが高いです。まずは拒否の理由を丁寧に聞き取り、説得や条件緩和(通勤手当の増額や時短勤務など)を試みることが先決です。それでも正当な理由なく拒否し続け、業務に重大な支障が出る場合に初めて、解雇の有効性が検討の遡上(そじょう)に載ることになります。
解説
1. 人事異動(配置転換)の法的根拠
法律用語では、同一企業内での職務内容や勤務場所の変更を「配置転換(配転)」と呼びます。美容室経営者がスタッフに対して一方的に配転を命じる法的効力を持つためには、以下の2つの要件を満たす必要があります。
契約上の根拠があること
まず、雇用契約書や就業規則に「業務の都合により、勤務場所の変更を命じることがある」といった規定(配転命令権の根拠規定)が存在する必要があります。これがない場合、原則として異動にはスタッフ個別の同意が必要となります。
多くの美容室では、採用時の契約書にこの条項を入れているかと思いますが、念のため現在の契約書をご確認ください。
権利の濫用に当たらないこと
契約上の根拠があっても、経営者が自由にスタッフを動かせるわけではありません。過去の最高裁判例(東亜ペイント事件など)により、配転命令権の行使は、以下のいずれかに該当する場合、「権利の濫用」として無効になるとされています。
- 業務上の必要性が存在しない場合
(例:単に人員が余っているわけでもなく、教育目的でもない、説明のつかない異動) - 不当な動機・目的をもってなされた場合
(例:退職に追い込むための嫌がらせ、労働組合活動への妨害など) - 労働者に対し、通常甘受すべき程度を著しく超える不利益を負わせる場合
(例:片道2時間以上の通勤を強いられる、重度の介護が必要な家族の世話ができなくなるなど)
美容室経営においては、特に「3」のスタッフへの不利益が争点になりやすいため注意が必要です。
2. 「通常甘受すべき不利益」の判断基準
どこまでなら「我慢すべき範囲(通常甘受すべき程度)」なのか、明確な線引きは難しいものの、実務上の目安は以下の通りです。
通勤時間と距離
一般的に、ドア・トゥ・ドアで片道1時間半〜2時間程度までであれば、通勤圏内として「通常甘受すべき範囲」と判断される傾向にあります。
ただし、これはあくまで一般的な目安であり、早朝のセットや夜の練習会などで拘束時間が長い美容業界の特性を考慮すると、より短い時間でも過度な負担とみなされる可能性があります。
育児・介護との両立(育児介護休業法26条)
育児介護休業法第26条では、事業主に対し、転勤により就業場所の変更を伴う配置転換を行う場合、その労働者の育児や介護の状況に配慮しなければならないと定めています(配慮義務)。
例えば、保育園の送迎を一人で行っているスタッフを、送迎が間に合わないような遠方の店舗に異動させることは、この配慮義務違反となり、命令が無効となる(あるいは損害賠償請求の対象となる)可能性が高まります。
「配慮」とは、異動をさせないことだけを意味するのではなく、勤務時間を調整したり、通勤手当を上積みしたりするなどの代替案を提示し、誠実に協議することも含まれます。
3. 勤務地限定社員と職種限定契約
近年、ワークライフバランスを重視する働き方が広まり、「勤務地限定正社員」という雇用形態が増えています。
勤務地限定契約の法的拘束力
雇用契約書において「勤務地:〇〇店(他の店舗への異動はなし)」と明記されている場合、経営者の配転命令権は放棄されたものとみなされます。この場合、本人の明確な同意がない限り、たとえ近隣の店舗であっても異動を命じることはできません。
店舗閉鎖(閉店)に伴う異動であっても、契約で勤務地が限定されている場合は、整理解雇の要件に準じて慎重な手続き(退職金の上積みや再就職支援など)が必要となります。
職種限定と役割変更
「ネイリスト」や「アイリスト」として職種を限定して採用した場合、人手不足だからといって、本人の同意なく「レセプション」や「アシスタント」へ職種変更(配置転換)を命じることは、契約違反となるリスクがあります。
美容師免許を持つスタイリストであっても、現場での施術を主とする契約なのか、店長としての管理業務を含む契約なのか、役割の定義についても注意が必要です。
4. トラブルを回避するための実務フロー
法的リスクを最小限に抑え、スムーズに人事異動を行うためには、以下のプロセスを踏むことが重要です。
STEP 1:就業規則・雇用契約書の確認
配転命令権の根拠規定があるか、勤務地限定特約がないかを確認します。
STEP 2:業務上の必要性の整理
なぜそのスタッフを異動させる必要があるのか(例:新店でのリーダー役が必要、本店での技術指導が必要、人間関係のリセットが必要など)、合理的な理由を言語化し、説明できるように準備します。
STEP 3:対象者への事前の打診(内示)とヒアリング
いきなり辞令を出すのではなく、事前に面談を行い、異動の意図を説明します。同時に、スタッフの家庭状況(育児、介護、健康状態)や通勤手段についてヒアリングを行います。
ここで拒否反応が見られた場合、無理に押し通すのではなく、不安要素(通勤費、時間、顧客の引き継ぎなど)を取り除く提案を行います。
STEP 4:辞令の発令とフォロー
合意形成ができた段階、あるいは十分な配慮を行った上で、正式に辞令を出します。異動後も定期的に面談を行い、新しい環境に適応できているかフォローすることが離職防止につながります。
5. 異動に伴う費用負担(通勤費・転居費)
通勤交通費
異動により通勤費が増加した場合、全額支給するかどうかは就業規則の規定によります。しかし、スタッフに全額自己負担させることは実質的な賃金低下となり、不利益変更とみなされるリスクがあります。実費支給、あるいは合理的な上限設定を行うのが一般的です。
転居費用
遠隔地への転勤で引っ越しが必要となる場合、引っ越し費用や敷金・礼金を会社が負担する法的義務はありませんが、負担しない場合は「不利益が大きすぎる」として配転命令自体が無効と判断される要素の一つになります。スムーズな異動のためには、転居費用の補助規定を設けることが推奨されます。
弁護士に相談するメリット
美容室の人事異動において、弁護士に相談・依頼することには以下のメリットがあります。
1. 配転命令の有効性の事前診断
特定のスタッフを異動させたいと考えた際、その理由やスタッフの家庭事情、契約内容を照らし合わせ、法的に有効な命令が出せるかどうかを事前に診断できます。これにより、無効な命令を出してトラブルになるリスクを回避できます。
2. 就業規則・雇用契約書の整備
将来的な多店舗展開を見据え、トラブルになりにくい「配転命令条項」や「勤務地限定制度」の設計を行います。また、育児介護休業法に対応した規定の整備もサポートします。
3. 拒否された場合の交渉代理と解決
スタッフが異動を拒否し、弁護士やユニオン(労働組合)を介して交渉を求めてきた場合、代理人として対応します。感情的な対立を防ぎ、法的に妥当な解決策(金銭的な補償や解雇の有効性判断など)を提示し、早期解決を図ります。
4. 不当解雇リスクの回避
異動拒否を理由とした解雇は、訴訟リスクが非常に高い領域です。解雇に踏み切る前に、プロセスに不備がないか、他の懲戒処分を選択すべきかなど、専門的な見地からアドバイスを提供します。
まとめ
多店舗展開を行う美容室にとって、適切な人事配置は組織の活性化と成長に不可欠な経営判断です。しかし、そこにはスタッフの生活(ライフ)という法的に保護されるべき権利が関わっていることを忘れてはなりません。
「雇用契約書に書いてあるから」「社長の命令だから」という理由だけで、スタッフの事情を顧みずに強引な異動を行えば、モチベーションの低下や離職を招くだけでなく、違法な命令として損害賠償を請求される可能性があります。
特に、育児や介護を行うスタッフが多い美容業界においては、個別の事情への「配慮」が法的にも強く求められます。
会社としての成長戦略と、スタッフの働きやすさを両立させる人事異動を実現するために、制度設計や個別のトラブル対応に不安がある場合は、早めに美容業の労務に強い弁護士にご相談ください。
弁護士法人長瀬総合法律事務所では、美容室経営における人事労務の課題に対し、経営者の皆様のパートナーとして実践的な法的サポートを提供いたします。
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